その周辺として
発売日に村上春樹訳の「ロング・グッドバイ」レイモンド・チャンドラーを購入。今、清水俊二訳の旧訳と読み比べしてるところ。
細かなニュアンスがしっかりと訳されている分、物語のテンポ・勢いは削がれている印象。初めて読む人にとっては旧訳の方が読みやすくてお勧めかと。
地の文の一人称が「私」なのは旧訳とも同じで想定内。ただ会話での一人称も「私」なのが、旧訳との大きな相違点(清水訳では「ぼく」)。
そのため村上訳、清水訳共に会話の一人称に「ぼく」を用いるテリー・レノックスとの関係が、かなり異なった印象を受ける。
「行かなくちゃならないんだ、マーロウ。それに、こんな話は退屈だろう。ぼくにも退屈なんだ」
「退屈じゃないよ。ぼくは他人(ひと)の話を聴くことにはなれている」(清水訳)
「そろそろ行くよ、マーロウ。それに僕は君を退屈させている。というか、僕は自分自身をすら退屈させている」
「誰も退屈してなんかいない。私は修練を積んだ聞き手だからね」(村上訳)
この比較だけでも、だいたいの感じは掴めてもらえるかと。