自作料理の喜び(途中)

 相変わらず、好き勝手に料理を作っている。脳みその調子が悪いときは、料理に限る。


 料理の良い点
1、集中できる。
 虚心に、ものをこね、切り、煮込み、焼く行為は、人を世間や身の回りのごたごた、内省から遠ざけてくれる。


2、五感全てに訴える完全芸術の一種である。
 小説や音楽、漫画、映画、スポーツは、五感全てにアピールできない欠点がある。
 その点、料理はその全て(視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚)に訴えかけてくる。


 立ちのぼる湯気の中、艶やかな白い輝きを放つ姿(視覚)、ちゅるり(聴覚)と啜り上げると滑らかで、こしがある(触覚)。さっぱりと仕上げた「だし」に溶け込む揚げ物のコク(味覚)。さっぱりとコクの相容れない二つの要素が弁証法により、かぐわしい香りとなって鼻腔を攻め立てる(嗅覚)


 ちょっと無理はしたけど、讃岐うどんツアーでの興奮を、五感に絡めて(wikiに出てた並びのまま)したためてみた。


 もちろん、これらも五感に訴えることができる。例えば映画なら、スクリーンを眺めながら口に運ぶポップコーン。これが素晴らしいのは、映画でフォローできない味覚、触覚をフォローしながら、周りに音を立てない点。惜しむらくは嗅覚が欠けている点だけど、それは場末の黴臭い映画館ほど映画を観たとき、印象に残るという、あえて欠けた要素を残すことで、感動に幅を持たせることが可能なのかも。


 五感全てに訴える行為を考えたとき、セックスを除けば、料理以上に精神的充足感を与えてくれるものは無いと思う。コスパを考えたら断トツ(エライこと酔っ払って書いてるや)。
 自分のほかの趣味、自転車、ネット徘徊、フェス(レイヴ)と比べてみると、


3、精神のバランスを取る手段としての料理。
 調理して、出来上がった品を口に運ぶ、その過程にもう一つの人生が隠れていることに気付く。まだ、生焼けだった。もっと素材の良さを活かした作り方、育て方があったのかも、手塩にかけて育てた(作った)つもりが、青菜に塩だったのかも。など。
 家庭菜園も、思えばそんな箱庭療法精神分析治療の一種)の一種かもしれない。自らが栽培し、育てた野菜、果実を、思いのままに調理し、咀嚼し取り込み、排泄するのだから。一歩身を引いての自己省察として申し分はない。「我が子のように育てた」というのはあながち比喩ではないわけだ。

 公平性。高級な食材を用いても旨い料理は約束されない。