田代まさしの逮捕に思う。メモ 備忘録

 3度目の逮捕とのことで、「バカなやつ」「もうどうしょうもない」「呆れた」など、いろいろ非難されてるけれど、「覚せい剤依存」が自分の意志ではコントロール出来ない「病気」だということを、マスコミはこの事件で伝えるべきではないかな、と。


 別に成功していたタレントの悲劇とか、破滅的な転落人生といった文脈でなく、自分たちと無縁ではいられない問題だということを伝えて欲しい。ほんのちょっとした過ちからそこに嵌り、抜け出せなくなって、すべて失ってしまう「覚せい剤」の本当の問題を。


 懲役刑は何も彼と薬物との関係を解決させはしなかった。家族や仲間のサポートも彼とクスリとの繋がりを断つことはできなかった。


 覚せい剤依存は糖尿病や緑内障と一緒で根治することがない病気であり、日常での努力はもとより、加えて専門家による定期的、永続的な処置が必要だという認識を多くの人に持って欲しい。


 自分は覚せい剤を今まで一度も使ったことがない人間で、今は使いたいと思ってないし、もし目の前にあっても試さない自信があるけど、コンビニで貰って使わなかった割箸みたく、ひとまず捨てずにしまっておく可能性もある(その後、冷静になって見つかったらヤバイ、とどうやって捨てようかテンパってしまうオチまで見える)。


 というのも、かつて、あったらいいなと思ってた時期があったし、関心以上に興味を持って、どこでどうやったら手に入るのか調べたこともあった(卒論レポートに「薬物依存」を選んでたこともあったが、多分好奇心だったんだろう。ダルク取材や好奇心があった)。もしそのとき手にしてたら、ハイになろうと試してただろう瞬間があった。そして、その時覚せい剤がなくて良かったとも。


 でも、それは今の自分であり、この後の自分がどうなるのかは分からない。数年後、数ヵ月後、明後日、もし自分が打ちひしがれていて、何かに頼りたくて、ただそのとき支えてくれるものを見つけられずにいたとき、すぐそばに覚せい剤があったら……。


 それを歯牙にもかけないと断言できる勇気をまだ持ててない。躊躇するかもしれない、逡巡するかもしれない。咎めようとする良心にこうつぶやくかもしれない。「正直になれよ」自分の弱さを誰よりもよく知っていているから。目の前の不安を偽ってウンザリしてるふりをする、平然を装って自己演出にあくせくする、退屈そうに眺めつつ陰茎を勃起させてる。


 青酸カリや、首吊りの縄や、まだ撃ったことのない銃のように、それがそばにあることで安心出来る。


 で、今回は覚せい剤(とコカイン)について。大麻や幻覚剤、向精神薬、タバコ、アルコールについては、それぞれにまた別の考察が必要です。